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抗生物質

ペニシリン事業からスタートし、
「抗生物質の明治」へ

「ペニシリン」「ストレプトマイシン明治」「カナマイシン明治」「パニマイシン」の4商品は、戦後から高度経済成長の日本で、多くの人々の命を救った医薬品。そして、「抗生物質の明治」を形成した製品だ。

薬品事業は、戦後のペニシリン製造からスタートする。(詳細はFOCUS参照)ペニシリンにわずかに遅れて、抗結核剤ストレプトマイシンの製造に取り組み、1950年7月に「ストレプトマイシン明治」を発売した。この当時、結核の死亡率が高く、政府は1950年から1951年末にかけてストレプトマイシンの買い上げを実施していたが、その半数以上が明治製菓の製品であった。1952年5月には、我が国の平均寿命の延長に貢献したことが高く評価され、厚生大臣から感謝状が贈られた。

カナマイシンは、梅澤濱夫博士が発見した新しい抗生物質である。明治製菓は早くから梅澤博士の研究に注目し、最大限の協力と研究開発を行い、1958年5月に「カナマイシン明治」を発売した。カナマイシンはストレプトマイシン耐性の結核菌を含む広範囲の病原菌による感染症に対して高い有効性を示し、毒性も低かった。「カナマイシン明治」は国際的にも高い評価を受け、販売は全世界に広がり、1966年には日本の輸出薬品のトップとなった。

「パニマイシン」は、梅澤濱夫博士らによるカナマイシンの耐性菌研究の成果をもとに、耐性菌のメカニズムを解明し、その耐性理論に基づき新薬を創出したところに歴史的意義があった。従来の抗生物質では効き目が弱かった緑膿菌に対しても優れた抗菌力を示した。1975年発売で、明治製菓の基幹製品となった。

「ホスミシン」は、スペインの土壌から分離された放線菌がつくりだす新規抗生物質で、アメリカのメルク社とスペインのセパ社が共同開発しており、明治製菓も開発実施の許諾を得て、基礎研究、臨床試験を実施し、1981年に発売した。発売後も緑膿菌感染症などに対する有効性、経口剤での腸管出血性大腸菌(O-157等)感染症への有効性など、ユニークな抗生物質として感染症治療に貢献している。

「ハベカシン」は、「パニマイシン」の耐性菌研究をさらに進展させ有機合成された国内で初めてのMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)感染症に対する治療薬として、1990年12月に発売された。1980年代以降、増加し臨床的に大きな問題となっていたMRSA感染症に対する治療薬の先駆けとなった。

「メイアクト」は、待望の自社創薬の経口用抗生物質である。1994年発売後、徐々に抗生物質に対する耐性化が進行していた肺炎球菌やインフルエンザ菌に対して、類薬の中でも強い抗菌力を示すことが特長となった。また、小児用、成人用製剤についても、味の改良、錠剤の小型化、あるいは牛乳アレルギー患者も服用できるためのカゼイン除去など改良を加えてきた。そして発売20周年を超えた現在もこのクラスのトップブランドのひとつとなっている。

「オラペネム」は、世界初の経口用カルバペネム系抗生物質で、2009年8月に発売された。小児感染症で問題となる他の抗生物質耐性の肺炎球菌やインフルエンザ菌に対して抗菌力を有する。耐性菌による標準治療薬が無効なまたは効果が期待できない難治性の肺炎・中耳炎・副鼻腔炎の3疾患が対象疾患である。その強い抗菌力から注射薬に代わって使用されるなど小児外来治療の幅を広げる薬剤となった。

FOCUS!

薬品事業の礎を築くペニシリン事業

戦時中の1944年から、明治製菓と明治乳業は山形県合同食品にて共同でペニシリンの研究を進めており、培養にも成功し事業化の基礎はつくられていた。戦後の1945年末には明治製菓は川崎工場、明治乳業は大阪工場(後に大阪製薬工場に改称)でペニシリン製造に着手することを決定。1946年10月に明治製菓は厚生省から製造許可を取得、製造に着手した。その後、GHQが招聘したフォスター博士の指導を受け、深部培養による大量生産を開始した。一時は56社もの参入があったペニシリン市場の中でも明治製菓、明治乳業は着実に優位性を確保していったが、競争激化による価格の暴落、1955年にはペニシリンショックの問題が生じ、協議の結果、明治乳業のペニシリン事業は明治製菓に移管され、その後、川崎工場、淀川工場(旧大阪製薬工場)にて一連のペニシリン製剤が生産され、ペニシリン系薬の主要企業のひとつとして存続していった。

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