顔写真:井上 元幹

井上 元幹

株式会社 明治
明治イノベーションセンター 研究本部
物性・感性研究ユニット 物性・感性工学グループ

顔写真:神田 玲奈

神田 玲奈

株式会社 明治
明治イノベーションセンター 研究本部
物性・感性研究ユニット 物性・感性工学グループ

食べ物をかみ砕き、飲み込みやすい状態にする「咀嚼(そしゃく)」は、おいしさや楽しさを広げるだけでなく、心身の健康を支える生命活動の土台です。
(株)明治(以下、明治)は、長年にわたり「咀嚼」を研究してきました。その取り組みは近年、グミなど自社の新商品開発にとどまらず、医療分野やBtoB向けのビジネスにも広がっています。未知なる咀嚼プロセスの「見える化」に挑み、食の未来を切り開く2人の研究者に話を聞きました。

「一生、おいしく食べる喜び」を支えたい。高齢者施設での原体験

日々を健康的に過ごすために重要な「咀嚼」。しかし近年、年齢と共にかむ力や飲み込む力が衰える「オーラルフレイル」(口腔機能の衰え)が、超高齢社会における課題となっています。
この咀嚼の力に着目し、研究の道を突き進んできたのが、井上元幹です。井上の強いモチベーションは、学生時代の原体験にさかのぼります。

「管理栄養士を目指して勉強をする中で、高齢者施設で食事の介助などの実習をしました。その時、入所者の皆さんが毎日の食事を楽しみにされている姿が本当に印象的で、『食べる喜びが、こんなにも生きる力になるんだ』と、咀嚼の重要性を強く実感したのです」

写真:咀嚼について語る井上

明治に入社後、井上は「食と健康を支えたい」と、咀嚼を研究する部署への異動を志願。しかし、そこで大きな壁にぶつかったと言います。

「口の中で食べ物がかみ砕かれ、唾液と混ざりながら飲み込みやすい塊(食塊)へと変化していくプロセスは、あまりにも複雑です。直接観察することは難しい上、かむ力や唾液の量も人によって異なるため、従来の計測機では、口の中で起きていることがわからなかったのです」

写真:オーラルマップスで食品を測定する井上
オーラルマップスで食品を測定する井上

研究を深めるためには、人の口内を再現する装置を自分たちでつくるしかない──。2018年、井上は咀嚼シミュレータ「オーラルマップス」の開発へと踏み出します。咀嚼中の食品の変化を再現することにこだわり、例えば人間の歯の機能を代替するパーツなどは、3Dプリンターを用いて試行錯誤を重ねてつくり上げたと言います。

こうして2年後の2020年にオーラルマップスの1号機が完成。井上は同年に同じ部署に配属された神田玲奈と共に、この装置を活用した咀嚼研究を本格的にスタートさせたのです。

グミのかみ応えをデータ化し、歯科医療の未来につながる研究へ

生きる源になる「おいしさ」や「健康」を届けたいと、入社2年目で咀嚼の研究チームに配属となった神田。装置の技術面を担う井上と、その測定結果の応用を担う神田の二人三脚が始まりました。

さまざまな食品の測定を試す中で、2人がまず注力したのが「グミ」の研究でした。かむほどに細かくなるグミは、咀嚼の度合いをデータ化しやすいと考えたのです。そんな折、グミを開発するチームから、「2つの試作品を食べ比べると明らかに食感が違うのに、従来の計測機ではデータに差が出ない」という、相談が舞い込みます。

写真:グミの測定について語る神田

「オーラルマップスで測定したところ、かたさや弾力による『咀嚼後の崩れ方』に、明確な違いが数値として表れました。咀嚼中のグミの変化を詳細に捉え、データ化に成功したのです。あの時の感動は忘れられません」
神田はそう目を輝かせます。

このブレイクスルーから生まれたのが、明治のグミのパッケージに記載されている「かみごたえチャート」です。

写真:グミの商品パッケージに記載されている「かみごたえチャート」。ソフトからハードまで、1から5+の数値で食感を表示
グミの商品パッケージに記載されている「かみごたえチャート」。ソフトからハードまで、1から5+の数値で食感を表示

オーラルマップスが導き出したデータを基に、かみ応えを6段階に分類。また社内の研究チームと連携し、かみ応えの強弱が、食べた後の心理状態に関係することを確認しました。「リラックスしたい時は、やわらかめの2」「集中したい時は、かための5」など、おすすめの食シーンも表示することで、お客さまがその時の気分やシーンに合わせて食感を選ぶという、従来にない食の楽しみ方を生み出しました。

さらにこの数値は、個人の感覚に頼りがちだった食感を客観的に示す「共通言語」となり、開発担当者間の認識を合わせることで、商品開発のスピードアップにつながります。

そして、オーラルマップスの活用は、食品の枠も飛び越えていきます。グミの咀嚼研究の経験を基に、歯科医院などで使われる咀嚼能力検査用グミゼリーにおいて、歯科材料などのメーカーである株式会社ジーシーさまと共同研究を実施。咀嚼によるグミゼリーの変化をオーラルマップスで測定することで、かむ力や唾液の量がグミゼリーに与える影響を解明し、日本老年歯科医学会では多くの方の関心を集めました。これは、神田にとって、転機になった出来事でした。

「実は、私はもともと商品開発を志望して入社したので、咀嚼の研究は未知の領域でした。最初は少し不安がありましたが、オーラルマップスを通して咀嚼・食感研究の奥深さにどんどん魅了されていったのです。商品開発や医療領域まで研究の幅を広げることができ、とてもわくわくしています」

より多くの人の「おいしさ」や「健康」に貢献できる咀嚼の研究に、大きなやりがいを感じています。(神田)

明治と共同研究
オーラルフレイルの早期発見と予防につなげたい

写真:株式会社ジーシーR&D 研究所の柿沼 祐亮 氏、福島 庄一 氏、吉永 匡寿 氏

株式会社ジーシーR&D 研究所
柿沼 祐亮 氏(写真中央)
福島 庄一 氏(同左)
吉永 匡寿 氏(同右)

当社では、歯科医院などで使われる咀嚼能力検査用グミゼリーを開発・製造しています。
明治さんとの共同研究によって、咀嚼プロセスにおける「かむ力」と「唾液の量」がどう影響しているかを可視化することができました。特に、かたいグミほど「唾液の量」が咀嚼効率に大きく影響するということがわかり、これまで感覚的にしか捉えられなかった口腔内の変化を、確かなエビデンスとして立証できたと手応えを感じています。

口腔機能の維持は健康寿命の延伸に寄与するといわれています。歯科医療に食品科学を融合させた今回の成果をベースに、オーラルフレイル(お口の衰え)の早期発見と予防に貢献できる未来を目指します。

進化する最新機がビジネスの現場へ。「口溶け」もデータに!

多様な研究を行いながら、2人はオーラルマップスをさらに進化させていきます。センサー感度を2倍に高めた最新機を開発し、ホイップクリームや溶けたチーズなどの口溶けや、なめらかさまで測定可能にしたのです。2025年には、この最新機が明治アプリケーションセンター(以下、APC)に導入されました。APCは、明治の業務用食品を活用したレシピ・メニュー提案を行うBtoBビジネスの拠点です。

写真:APCメンバーとの会議。意見交換しながら多様な食品の食感を測定・分析
APCメンバーとの会議。意見交換しながら多様な食品の食感を測定・分析

井上は「自分たちの技術が社会の中で機能し始め、咀嚼研究が新たなフェーズに入った」と話します。

「APCでは、日々多くのお取引企業さまから依頼が寄せられ、『オーラルマップス』でさまざまな食品のかたさや付着性などを測定しています。ただし、そのデータで全てがわかるわけではありません。重要なのは、自分たちで実際に食べ、その時の感覚と突き合わせながらデータを分析していくこと。お取引企業さまにより役立つ情報を提供できるよう、私たちがこれまでに蓄積してきたノウハウをAPCと共有し、一緒にデータ分析しています」

明治アプリケーションセンター(APC)
オーラルマップスで、食ビジネスを豊かに変えていきたい

株式会社 明治
フードソリューション事業本部
アプリケーション部 部長
内田 直樹

写真:内田 直樹

APCでは、お取引企業さまの「おいしい食感を追求したい」といった高度な課題解決のため、オーラルマップスによる測定サービスを提供しています。例えば、ケーキのホイップクリームの口溶け感、カニとカニカマの食感の違い、常温と冷蔵でご飯の食感がどう変化するかなど、多様な食品の分析は私たちにとっても新しい挑戦であり、深い学びの連続です。

お取引企業さまからは「自社商品の強みが可視化された」「新商品開発の確かな指標ができた」と、多くの喜びの声を頂いています。分析結果が「もっちり」「ふわふわ」といった感動的な食感の商品開発につながり、生活者の皆さんに新たな食の楽しさや喜びを届けられると考えています。

世界へ、そして再び原点へ。咀嚼・食感研究をライフワークにする2人の夢

写真:これからの展望を語る神田

オーラルマップスと共に走り続けてきた今、神田の視線はさらにその先を見据えています。

「APCでの取り組みでオーラルマップスの可能性が大きく広がり、自分たちの研究が自社商品だけでなく、社会の多くの商品開発の根幹につながりを持てているという実感があります。食感のデータ化は、共通言語をつくること。社内、国内に限らず、食の文化や好みが異なる国・地域にも、オーラルマップスの活用を広げていきたいですね。あらゆる食品のおいしさをつくる食感の研究を、一生のライフワークにしていきます」

井上も、オーラルマップスの技術を社会にもっと役立てていきたいと話します。

「研究の世界では、日の目を見ずに消えていく技術も少なくありません。そうした中、オーラルマップスがこうして社会の中で機能し始めていることが本当にうれしいです。人々に役立つものとして、もっと広めていきたいですし、長く活用される技術として磨き続けていきたいですね」

写真:これからの展望を語る井上

現在は、自身の原点である「高齢者の咀嚼」に向き合い、口腔機能が低下した状態を再現するシミュレーションにも取り組んでいます。

「学生時代、高齢者施設での実習で見た皆さんの笑顔。かんで飲み込む力が衰えてしまった方々にとって、咀嚼や食感はどういったものか。そうした方でもおいしく食べられるものは何かを明らかにしていきたいと考えています」

食の楽しさが人生の豊かさと健康につながるよう、「咀嚼」を探求していきます。(井上)

2人の情熱が息づくオーラルマップスは、単に食感を測定する装置ではなく、誰もが食べる喜びを感じられる未来をつくるためのカギ。明治はこれからも、咀嚼研究の最前線から、健やかで豊かな社会を支え続けていきます。

写真:井上と神田