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道脇 幸博 氏Dr. Yukihiro Michiwaki

みちわき研究所 代表/
東邦大学 医学部 客員教授

外山 義雄Yoshio Toyama

株式会社 明治
研究本部 技術研究所 物性・感性研究部 部長

菊地 貴博Takahiro Kikuchi

株式会社 明治
研究本部 技術研究所 物性・感性研究部 物性工学G

肺炎で亡くなる人の97%以上が、65歳以上の高齢者。その主な原因といわれているのが、加齢で物を飲み込む力(嚥下えんげ機能)が弱まることです。食べる楽しみにも大きく関わる嚥下機能をいかに保つかは、日本だけでなく先進国の大きな課題となっています。

こうした中、明治グループのとあるチームでは、口腔外科医の道脇先生の協力のもと、「嚥下」の全容を解き明かす嚥下シミュレータの開発に取り組んでいます。

本座談会では、道脇先生をゲストにお迎えし、開発にまつわるビジョンや最新状況をお伝えします。

──開発チーム発足の経緯を聞かせてください。もとは道脇先生の研究と伺いましたが……。

道脇:そうです。私は臨床医でヒトの口の中が専門なんですが、口に関する機能低下で患者さんが一番困るのが「しゃべれないこと」「食べられないこと」の二つなんです。
食べることは日々の楽しみなのに、食べると窒息したり、肺炎になったり。危険だからと、「禁食」といって、点滴だけで過ごしていただくこともありますが、それもつらいですよね。
本当に必要なのは「食べても安全」にする方法だと。そのために、何かを飲み込むときヒトの体はどう動いているのか、詳しく解明したいと考えました。

菊地:実は、私も当時道脇先生と同じ病院で研究に当たっていました。専門は工学なのですが、大学在学中に縁があって。
最初はロボットを使うことも想定していました。しかし、なかなかコストパフォーマンスが上がらなかった。そこに外山さんからお声掛けいただいて、共同研究が始まりました。

長期的には、明治グループのブランド向上につながる取り組みだと思っています。(外山)

外山:明治としても「食べる」というのは重要なテーマですし、とろみ調整食品など医療や介護に向けた商品も扱っていますから、関連の研究発表がある学会にはよく行っていたんです。たまたま先生の研究発表を拝見して、実現したら患者さんのQOL(Quality of Life=生活の質)が大きく上がる、いい研究だと思った。それで「応援しています」とお伝えしたら、「応援じゃなくて、一緒にやりましょう」と(笑)。

道脇:ナンパみたいなものですよね(笑)。
実は別大学との共同研究でシミュレーションを検討したこともあったのですが、当時は計算がうまくいかなかった。食品モデルの部分で。でも外山さんから別の計算方法の提案があって、その計算結果も見せていただいたら、それが圧倒的に現実に近かったんです。

外山:明治には臨床データはないですが、食品をモデル化する技術とノウハウはありますから。そうはいっても、世の中にないものを生み出すことなので、できるだろうか?という不安はありました。手応えを感じるまでは、組織的な取り組みというより、あくまで道脇先生を中心とした私たちチームの研究という位置付けでした。

──嚥下シミュレーションというのはどういう技術なのですか?

菊地:CTスキャンなどの画像を基に、ヒトの「喉」の精密な立体モデルを作り、物性値を設定した食品モデルも使って、物を飲み込む様子をシミュレーションするというものです。
加齢や病気などが原因で、「喉」の動きが悪くなると、物をうまく飲み込むことができないことがあります。そのときの様子は外からは見えませんし、飲み込めない原因を詳細に分析することもできません。実際に体の中で何が起こっているのかを誰でも見えるようにしたい、そして原因解明を後押ししたい、そういう思いで開発したのが、この「スワロービジョン」という嚥下シミュレータです。

道脇:今は一人一人手作業で立体モデルを作っていますので、1つのモデルを作るのに時間がとてもかかり、臨床現場への応用はまだ難しい段階です。でも、将来的には病院でCTを撮れば、コンピューターが自動的にモデルを作って、シミュレーションできるという状態を目指したい。例えば、最近、食べ物を飲み込みにくくなったという患者さんが病院に行って、その日のうちにシミュレーションから対策を検討できたら良いですよね。

外山:「この食品を、この調理法で食べましょう」とか、「ここの筋肉を鍛えましょう」とか、そういうことですよね。広くお客さまの「食べる」に貢献できる。
どちらかというと個々の患者さんに合わせた食事提供や治療に役立つ技術ですから、明治の商品開発に活かし切れるかというとそうでもない。でも社会的意義は大きいので、長期的には、明治グループのブランド向上につながる取り組みだと思っています。

菊地:実際に、開発段階で幼児向け商品の安全性評価にスワロービジョンの活用が始まっています。また、玩具や節分豆による乳幼児の窒息や誤嚥ごえんの事故を予防するための消費者庁の取り組みにも参画し、この技術の社会的意義を実感しています。

──嚥下シミュレータの開発の中で、難しい点や課題はありますか。

菊地:CTなどの医用画像から立体モデルを作るために、とても時間がかかることが一番の課題です。嚥下は体内での高速な運動ですので、画像を撮ったからといって、体や飲み込んだ物の動きが、はっきりと見えるわけではありません。その立体モデルを試作して検証するのは簡単なことではありません。また、画像で動きが見える部分についても、その動きの原因である力の程度までは見えません。

水を飲み込む動き

菊地:例えばとろみが強いものなら、舌を使って押し込むような動きをしますが、水の場合はそのような動きはしません。X線の動画ではどの器官がいつどれだけ動くか、筋肉はどのくらいの力を使っているかなど、大まかな想像しかできませんが、根拠のあるシミュレーションをすることで細かく追えるようになります。逆にいえば、そこまでできないと「なぜ飲み込めないのか」が分からない。

道脇:ヒトの体を研究する方法には動物実験と臨床試験がありますが、嚥下の場合にはどちらのアプローチも使いづらいんです。動物はヒトと「喉」の構造が違いますし、実際にリスクのある患者さんに食べていただくというのも、安全面で課題が残るので。でもシミュレーションなら正確なデータを、安全に取れますよね。クルマの衝突実験と同じです。ですので、嚥下の研究にはシミュレーションが必要なのです。

嚥下研究のデメリットをシミュレータが解決

嚥下のモニタリング技術を有するスタートアップ企業に出資

明治ホールディングスは2022年3月、摂食嚥下のモニタリングサービスを展開するスタートアップ企業・PLIMES株式会社へ出資しました。同社の「GOKURI」は、専用のウェアラブルデバイスを通じて嚥下音や姿勢データを取得し、嚥下の状態を簡易・客観的に評価するシステムで、明治の嚥下シミュレーション技術と掛け合わせることで、新たな健康価値を提供できると期待されています。

摂食嚥下のモニタリングサービスを展開するスタートアップPLIMES社に出資

──嚥下シミュレーションの活用について、もう少し具体的なビジョンを伺いたいです。

道脇:大人の体、特に高齢者の体は、放っておくと機能が低下する。逆にいえば、適切な運動をしていれば長く機能を保てるということです。どうすれば「人生100年」といわれる時代を健康に生きていけるのか、高齢社会の先進国であるわが国だからこそ、ポジティブに対応していこうよというメッセージを発信できると思っています。
例えば、高齢者がだんだん食べられなくなり、禁食にする。するとさらに機能は衰える。それよりは、能力に応じた食生活の処方箋やレシピを用意して、食べ続けるのが一番いい。
嚥下シミュレーションはその評価に役立ちます。「喉」が物を飲み込む運動を分析して、プログラム化することで、その人の嚥下の能力がどのくらいなのか、どこに課題があるのかを正確に評価できる。

高齢社会の先進国であるわが国だからこそ、ポジティブに対応していこうよというメッセージを発信できると思っています。(道脇)

道脇:現場でモデルを作れれば、適切な処方や運動も提案できようになります。また、治療した後どうなるか、加齢でどう変化していくのかなどもシミュレーションできます。

道脇:それを共有すれば、ここまで回復するんだというビジョンを患者さん自身も描きやすい。
目的も分からないまま「1日この回数、舌を突き出して運動して」と言われるよりも、「ここを鍛えるためにそうしてください」と伝えられたほうがモチベーションは上がりますよね。
治療方法の幅も広がります。筋肉を動かすというのは神経を動かすということでもあるので。例えば、体のある部分の神経が衰えて、脳からの指令がそこで滞っていたとしたら、別の神経を迂回うかいルートとして使えば解決するかもしれない。そのための運動をするというのも一つの考え方ですよね。
正確なシミュレーションができれば、こうした手段も取りやすい。特に筋肉の動きが分かると、どこがどうつながって指令を送るのかの経路が分かりますから。

──ビジョンの実現に向けた課題も教えてください。

外山:現在はモデルを作る時間の短縮、自動化・効率化に取り組んでいるわけですが、まだまだ時間がかかります。ですが期待は大きくて、学会でも「いつできるんだ」「いくらするんだ」とすぐ聞かれます。
世界中で類似の研究はされているはずなんですが、なかなか続かないようです。ここまで精細に作り込むと時間もコストもかかるので。熱意のあるメンバーがそろったから続いているようなもので(笑)。現場で使うことを想定するなら、技術などの権利化も重要ですよね。誤解から不適切な使い方をしないように、ガイドも作っていかないといけないと思っています。やることは多い。

菊地:現状でももう、看護の教育現場などから「勉強に使いたい」なんてお話をいただいていますよね。

外山:はい。すぐにはお役に立てないことに日々ジレンマを感じていますが、多くの方から「早く使いたい、できたらすぐに」と望まれている技術であることは確かです。一つ一つ課題を解決しながら、早期の実用化にこぎつけられたらなと。

──さまざまな分野での活躍に期待が膨らみます。本日はありがとうございました。