
丸山 和則
DSM株式会社
代表取締役社長 兼 Bovaer®アジアディレクター

池下 秀介
明治ホールディングス株式会社
サステナビリティ推進部 サプライチェーングループ長
明治グループは、酪農の温室効果ガス(GHG)排出量を削減するための挑戦を続けています。酪農家と協力したカーボンフットプリント算定に始まり、味の素株式会社との協業による牛の排泄物由来のGHGを削減するプロジェクト、酪農DXスタートアップ企業への出資など、「持続可能な酪農」に向けた共創の輪を広げてきました。そして、2024年5月にはスイス・オランダに本拠を置く飼料・食品添加物大手のdsm-firmenich社の協力のもと、酪農に伴うGHGの中でも最大の課題である、牛のゲップに含まれる「メタン」の削減プロジェクトに着手しました。
牛乳生産に伴うGHG排出の6割を占める「メタン」
メタン(CH4)は地球全体で見て二酸化炭素(CO2)に次いで排出量の多いGHGであり、二酸化炭素の28倍の温室効果を持ちます。牛乳が作られる過程で排出されるGHGの中で最も影響が大きいのは、このメタンであり、その排出源のほとんどは牛の「ゲップ」です。人類が排出するメタンのうち約10%が乳牛由来であり、その削減は地球温暖化対策の点からもとても重要です。
牛は4つの胃を持ちますが、メタンはそのうち1つ目の胃(ルーメン)で発生します。ルーメン内の微生物が食物の消化を助ける働きをする際に、MCR(メチル補酵素M還元酵素)という酵素が活性化し、水素や二酸化炭素と反応してメタンが生成されてしまうのです。

欧州企業としていち早くサステナビリティ経営に取り組み、また科学的アプローチによるさまざまな飼料添加物の開発を手掛けてきたdsm-firmenich社は、そのノウハウを活かし、2008年にメタン削減飼料添加物の開発プロジェクトをスタート。このプロジェクトで開発されたのが、「Bovaer®(ボベアー®)」です。
気候変動対策の世界的イノベーション「ボベアー®」
「ボベアー®」は、反すう動物向けの飼料添加物として開発され、水素や二酸化炭素よりも先にMCRに反応することで、メタンの発生を防ぎます。MCRと反応した後、「ボベアー®」は分解されて、牛の体内に元々存在する無害な物質になります。

「ボベアー®」が初の市場登録を果たした2021年は、メタン排出量削減に向けた国際的なイニシアティブである「グローバル・メタン・プレッジ」※が発足するなど、メタン削減に向けた本格的な取り組みが開始された時期でした。当時の市場の反応について、DSM株式会社(dsm-firmenich社 日本法人)の丸山氏は次のように語ります。

「ボベアー®」は地球温暖化に対する重要な対策として歓迎されました。TIME誌『2024年の発明』ベスト200へも選出され、世界的なイノベーションとして多くの評価を受けています。
そして、2024年11月に日本でもメタン削減効果のある飼料添加物として、農林水産省に国内初で認可されました。
※「グローバル・メタン・プレッジ」は、2021年10月末からイギリスのグラスゴーで開催された気候変動対策会議COP26の期間中に正式に発足。2030年までに世界全体のメタン排出量を2020年と比べて30%削減することを目標として、100以上の国と地域が参加。
日本での導入に向けて実証実験を開始
明治グループは、2050年までにサプライチェーン全体のGHG排出量を実質ゼロとすることを目指していますが、排出量全体の9割以上は自社グループ外に起因するものです。牛のゲップ由来のメタンも大きな比率を占めており、その削減は最重要課題の一つでした。
dsm-firmenich社との協業は、このプロジェクトの交渉に携わった池下が、酪農の業界紙で「ボベアー®」の実証実験記事を読んだことがきっかけでした。池下は当時を振り返り次のように語ります。

酪農が盛んなEU圏で認められていて、GHG削減に有効な手段である可能性を感じました。ぜひ日本の酪農現場でも使ってみたいと思いました。(池下)
「ボベアー®」は、酪農におけるGHG排出量を大幅に削減する画期的な飼料添加物です。牛1頭につき1日小さじ4分の1杯の「ボベアー®」を与えるだけで、牛の消化管由来メタンの排出を平均30%削減可能な、実用的かつ効果的なソリューションです。
「ボベアー®」は、これまで合計67カ国・20万頭以上の牛に給餌されており、削減したメタンの量は既にCO2換算で20万トンを超えます。牛の健康や牛乳の品質にも悪影響を与えず、安全性も確認されています。
しかし、「ボベアー®」を酪農現場へ導入する試みは、日本初です。その準備段階として、明治グループは2025年1月から、酪農DXスタートアップ企業の株式会社ファームノートデーリィプラットフォームの牧場で実証実験を行う予定です。安全性や生産性への影響はもちろんのこと、日本の酪農家にとっての使いやすさなど、普及に向けて欠かせない条件を隅々まで検証していきます。
酪農家に安定して使ってもらうためには、費用面の配慮も重要です。「一般的な消費者が、サステナブルな商品に対してお金を出してもいい、出すべきだと思えるように、きちんと説明していくことも大切ではないでしょうか」と丸山氏は語ります。また、明治グループでは、J-クレジット制度※などを活用した酪農家の負担低減の仕組みづくりも検討していきます。
※二酸化炭素などのGHG排出削減量や、適切な森林管理による二酸化炭素などの吸収量を「クレジット」として国が認証する制度。
酪農GHG排出量削減で、業界の先導者を目指す
GHG排出量は、立場を問わず牛乳に関わりを持つ業界全体で削減していくべきものです。海外には、排出削減を促進するための酪農家向けの補助金制度を設けている国もありますが、日本はまだ十分ではありません。

だからこそ、生産・販売に深く関わる明治グループのような事業会社と、生産に直接携わる酪農家が協力して取り組むことが重要です。「明治グループが業界の先導者となって、持続可能な酪農実現の動きを広めていきたい」と池下は語ります。
明治グループはこれまでにも、同じ志を持つ酪農家や団体と連携して、持続可能な酪農に向けたプロジェクトを進めてきました。今回のメタン削減プロジェクトのパートナーとなるdsm-firmenich社では、「ボベアー®」のようなサステナビリティに貢献できる技術・製品を多く開発しています。
「ただ、開発した製品を現場で活用できる仕組みを作っていくのは、dsm-firmenich社だけでは難しい。明治グループの存在は、日本の酪農の現場のことをよく知るパートナーとしてとても頼もしい」と丸山氏は語ります。

また、牛乳の生産に伴うGHGの排出が問題視され、コストが甚大なものとなれば、これまでのように、誰にとっても身近な食材としての牛乳が食卓から消えてしまう可能性もあります。
酪農をサステナブルにすることは会社の継続につながる問題だと考えています。いつまでも後回しにできることではありません。これからが正念場です。(池下)
「ボベアー®」を使用したメタン削減プロジェクトは、日本におけるGHG排出量削減の転換点となる取り組みです。明治グループは、持続可能な酪農実現の先導者を目指して、さらなる挑戦を続けていきます。
