天沼 弘光Hiromitsu Amanuma
明治ホールディングス株式会社
サステナビリティ推進部 サプライチェーンG長
(プロジェクト開始当時)
池下 秀介Hidesuke Ikeshita
明治ホールディングス株式会社
サステナビリティ推進部 サプライチェーンG 課長
私たちの食卓になくてはならない乳製品。さまざまな商品がある中、「栄養価」や「おいしさ」など、購入する際に重視する点は人それぞれでしょう。昨今、そこに「環境への配慮」という新たな選択基準が加わろうとしています。
牛のふん尿やゲップには温室効果ガス(GHG)が含まれており、地球温暖化と密接に関わっています。日本ではまだ進んでいない、酪農由来のGHG排出量削減に取り組みたい。そんな思いから、明治グループは味の素株式会社(以下、味の素)とタッグを組み、酪農家とも協力し、日本で持続可能な酪農を実現するための取り組みを開始しました。
J-クレジット制度を活用したビジネスモデル
「ふん尿やゲップは、牛が生きていく上で必ず発生するもの。生き物の生活を尊重しつつ、いきなり全てを解決しようとしても難しいでしょう。まずは、一歩目をスタートさせることが重要だと私たちは考えました」と天沼は語ります。
よく注目されるのは牛のゲップですが、実はふん尿にも温室効果ガスの一つで、二酸化炭素の約300倍の温室効果があるとされる一酸化二窒素が含まれているんです。
明治グループは2023年、味の素との協業により、酪農におけるGHG排出量削減と、酪農由来のカーボンクレジットを創出する取り組みを開始しました。牛のふん尿から発生する一酸化二窒素の量は、飼料として牛に摂取されたアミノ酸のうち、体内に吸収されないアミノ酸の量に応じて増えるということが分かっています。
このプロジェクトでは、味の素が独自に開発した乳牛用リジン製剤「AjiPro®-L」を明治飼糧株式会社(以下、明治飼糧)に販売し、同社は提携する酪農家を中心に「AjiPro®-L」と緻密に設計したレシピを提供します。そのレシピに従って酪農家が牧草やトウモロコシなどの飼料と「AjiPro®-L」を混ぜ合わせ、牛に給餌することで、GHG排出量の削減を目指します。「AjiPro®-L」は、乳牛に不足しがちな必須アミノ酸のリジンを効果的に摂取できるようにしたアミノ酸製品で、これを飼料に混ぜ合わせることでアミノ酸バランスが整い、牛のふん尿から発生する一酸化二窒素の量を減らすことができます。
また、取り組みを始めるにあたって、J-クレジット制度※1を活用したビジネスモデルを構築しました。排出量の削減で生まれたクレジットは明治グループが買い取り、その代金は酪農家に支払われます。購入したクレジットは明治グループのGHG排出量のオフセット※2に活用し、酪農乳業全体のGHG排出量削減に役立てていきます。
関わる全ての人が「Win」になるプロジェクトを。そのような思いで、明治グループと味の素はJ-クレジット制度を活用したビジネスモデルを構築しました。
J-クレジット制度を活用したビジネスモデル
GHG排出量の削減と酪農家さまへの
経営的なメリットの提供を両立
私たちの部門では、酪農家さまのあらゆる課題に寄り添い、持続可能な酪農経営を実現するお手伝いをしています。J-クレジットを活用したビジネスモデルは、GHG排出の削減量という目に見えないものをクレジットとして価値化しており、酪農家さまにとっても経営的なメリットが生まれるものです。この制度を活用して、酪農家さまも環境問題への取り組みに参加し、持続可能な酪農につなげていただけたらと思っています。
大切なのは飼料のバランス
プロジェクトを実現するにあたって難しかったのは、飼料の設計でした。牛に「AjiPro®-L」だけを大量に与えてしまっては栄養過多になってしまうため、「AjiPro®-L」を配合しながらバランスのとれた飼料にすることが味の素と明治飼糧に求められました。両社をつなぐ橋渡し役を担う天沼は以下のように語ります。
バランスの良いメニュー設計をしないと、牛の健康状態や乳量に影響が出てしまう。メニュー設計がプロジェクト成功のカギとなるという思いで、味の素と明治飼糧が一丸となって調整に取り組みました。
一般的な飼料によく用いられる大豆かすは、高タンパク・高コストです。今回のプロジェクト用に「AjiPro®-L」を配合した飼料は、通常では牛の小腸まで届きにくいアミノ酸を効果的に栄養として届けることができるため、大豆かすを減らしながらも十分な乳量を維持することができます。そして、吸収されない無駄なアミノ酸が減ることで、牛のふん尿から発生する余剰な窒素も削減できます。それによって、一酸化二窒素排出量を削減することが可能となりました。
第一胃で分解させずに腸で溶かす独自の溶出特性をもつリジン製剤
エビデンスを基にした説明・議論を重ねて、
飼料のメニュー設計変更を実現
飼料のメニュー設計は、牛の健康に影響を与え、乳量を左右する重要な要素です。従来とは異なるメニュー設計を採用することは、酪農家さまにとって大きなチャレンジ。当初は、明治飼糧さまから「牛の健康や乳量に悪影響があるのではないか?」という声が上がっていましたが、エビデンスを基に説明し、酪農家さまも含めて議論を重ねたことで、ご理解いただくことができました。今後も、「AjiPro®-L」を用いた取り組みの有用性をお伝えする努力を続けていきたいと思います。
"熱意"が動かしたプロジェクト
プロジェクトの始動は順風満帆といえるものではありませんでした。GHG排出量削減などのサステナビリティの取り組みには経済的負担が伴うため、実現には困難が生じます。今回のプロジェクトも、開始までに何度もその壁に直面しました。それでも明治グループと味の素の両社はプロジェクトを諦めることはありませんでした。さらに天沼は、明治飼糧や酪農家、そして株式会社 明治のマーケティング部門とも何度も会合を重ね、「牛乳の価値を上げる」プロジェクトであることを伝え説得し続けました。その結果、多くの人の協力を得ることができ、2023年1月、ついに北海道根室市の北翔農場で取り組みがスタートしたのです。
「酪農という素晴らしい産業を持続可能なものにしたい」という共通する熱い思いがあったからです。
味の素さまとの綿密な議論と
北翔農場さまのご理解のもとで実現した
新たな挑戦
明治飼糧は、酪農家さまと一緒に試行錯誤しながら最適な飼料を提供することで、信頼関係を築いてきました。今回のように天然原料の大豆かすを減らす大胆な変更をすると、「乳量が減ってしまうのではないか」と不安でした。しかし、味の素さまとの議論はもちろん、北翔農場さまから「やってみよう」と言っていただけたことで取り組みがスタート。実際、メニュー設計の変更による乳量の減少は起こっておらず、コスト面では従来よりも抑えられていると感じます。
飼料で一番大切なのは牛が喜んで食べられること。
牛の健康と環境負荷削減を両立する
「AjiPro®-L」の配合を継続していきます
日々、愛情を込めて牛に接する中で、飼料はかなり気を使っている部分です。一番大切なのは、牛が喜んで食べられるものであること。メニュー設計は、農場で収穫した草やトウモロコシをもとにしながら、いつも明治飼糧さまに提供いただいています。「AjiPro®-L」を配合した今回のメニュー設計でも乳量が減るようなことはなかったので、継続して取り組んでいきたいと思います。
持続可能な酪農の実現が、商品価値になる時代へ
池下は「北翔農場さま以外にも協力いただけるところを広げていきたい」と語ります。そして、このビジネスモデルに参加する酪農家や企業・団体は少しずつ増えています。
これは、持続可能な日本の酪農を実現する第一歩。このビジネスモデルを拡大し、より多くの温室効果ガス削減を実現していきます。
現在、新たな酪農家との取り組み開始に向けて、検討を進めています。さらに、一酸化二窒素よりも地球温暖化への影響が大きいメタンを削減できる飼料も検討しています。明治グループ、味の素、北翔農場でスタートした取り組みは、どんどん輪を広げています。
また、天沼は「GHG排出量削減をはじめ、酪農の課題を解決して産業としての価値を上げていきたい」と語ります。持続可能な酪農を実現することにより、その取り組みの中で生まれた乳製品には「低炭素」という新たな価値が生まれます。この新たな価値を重視して、消費者が乳製品を選ぶ。そんな未来を創造していくために、明治グループはこれからも「サステナブル酪農」に取り組んでいきます。
牛乳を選択する際、健康やおいしさという基準に、サステナブルな価値を加えていきたい
乳製品のマーケティングを担う私たちの部門は、「牛乳の価値向上」に努めることが大きな役割の一つ。牛乳には健康やおいしさという価値がありますが、昨今の環境意識の高まりを踏まえ、サステナブルな価値を加えることが重要になっていくと考えました。この酪農業におけるGHG排出量削減への取り組みを消費者に伝え、理解してもらうことが、牛乳を選択してもらうことにつながると思っています。