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インドで、日本向け医薬品の生産体制を構築。異文化と格闘しながら、プロジェクトを成功に導く。

2014年6月、Meiji Seika ファルマはインドの医薬品製造メーカー、メドライク社の買収を発表した。
このM&Aにより、Meiji Seika ファルマはグローバルで大きく成長を果たすための強力な基盤を手に入れることになった。
このプロジェクトを成功させるべく、インドで奮闘した4人のメンバーに迫る。

phase01

インドの買収先企業に赴き、
現地のスタッフと協業。衝撃と驚愕の連続。

Meiji Seika ファルマは、日本の製薬業界のなかでも早くからグローバル展開に力を入れてきた企業だ。
いまから半世紀以上前の1954年から抗生物質の輸出を開始し、以降1970年代から2000年代にかけて、インドネシア、タイ、中国、スペインに医薬品の生産・販売を担う現地法人を次々と設立。そして2010年代に入り、さらなる事業拡大を図るための重要戦略として実行されたのがメドライク社の買収だ。メドライク社はインドのバンガロールに本拠を置く医薬品製造メーカーであり、世界の製薬大手企業より医薬品の受託製造を請け負っているほか、自社で開発したジェネリック医薬品を、インド国内はもとより欧州やアジア、アフリカなどの新興国で販売している。
Meiji Seika ファルマは以前より、自社の得意領域である感染症と中枢神経系の新薬の開発に加えて、高品質なジェネリック医薬品を提供することにも注力しており、「スペシャリティ&ジェネリック・ファルマ」を目指すべきビジョンとして掲げている。そして今後の医療情勢の変化を踏まえ、安心・安全なジェネリック医薬品をより安価に、安定的に供給する生産体制の構築が必要とされていた。メドライク社を傘下に収めることで、Meiji Seika ファルマはジェネリック医薬品を低コストで大量に生産する能力を獲得し、ビジョンの実現に向けて一気に飛躍できる環境が整った。

Meiji Seika ファルマは、日本の製薬業界のなかでも早くからグローバル展開に力を入れてきた企業だ。
いまから半世紀以上前の1954年から抗菌薬の輸出を開始し、以降1970年代から2000年代にかけて、インドネシア、タイ、中国、スペインに医薬品の生産・販売を担う現地法人を次々と設立。そして2010年代に入り、さらなる事業拡大を図るための重要戦略として実行されたのがメドライク社の買収だ。メドライク社はインドのバンガロールに本拠を置く医薬品製造メーカーであり、世界の製薬大手企業より医薬品の受託製造を請け負っているほか、自社で開発したジェネリック医薬品を、インド国内はもとより欧州やアジア、アフリカなどの新興国で販売している。
Meiji Seika ファルマは以前より、自社の得意領域である感染症と中枢神経系の新薬の開発に加えて、高品質なジェネリック医薬品を提供することにも注力しており、「スペシャリティ&ジェネリック・ファルマ」を目指すべきビジョンとして掲げている。そして今後の医療情勢の変化を踏まえ、安心・安全なジェネリック医薬品をより安価に、安定的に供給する生産体制の構築が必要とされていた。メドライク社を傘下に収めることで、Meiji Seika ファルマはジェネリック医薬品を低コストで大量に生産する能力を獲得し、ビジョンの実現に向けて一気に飛躍できる環境が整った。
そこでまず、インドから日本市場にジェネリック医薬品を供給すべく、現地で新たに建設される工場内に日本向け製品の生産体制を構築するプロジェクトがスタートした。
このプロジェクトに深く関わったメンバーの一人が吉松だ。品質管理・品質保証の専門家であり、現地で立ち上げる製剤工程に日本基準の品質をもたらすためにインドに赴任。当初、吉松はそこで文化の違いに衝撃を受けたという。
「工場で製造を担うメドライクのインド人スタッフたちと一緒にプロジェクトを進めていきましたが、現地での会議は各自が自由に意見を言い合うスタイルで、収拾がつかないこともしばしば。また、トップダウンの指示系統ができあがっており、現場から提案を上げるという文化がなかった。そこに日本のメーカーである我々の思想を持ち込むのは、並大抵のことではないと感じました。さらに、メドライクの品質管理担当のスタッフが実際に作業しているのを見ると、器具の使い方を十分習熟しておらず、きちんと精度が出る手技で試験が行われていなかった。こんなレベルなのかと驚愕しましたし、果たして日本向けの品質を持った医薬品を彼らと協業しながら製造できるのか、最初は不安しかありませんでしたね」。

そこでまず、インドから日本市場にジェネリック医薬品を供給すべく、現地で新たに建設される工場内に日本向け製品の生産体制を構築するプロジェクトがスタートした。
このプロジェクトに深く関わったメンバーの一人が吉松だ。品質管理・品質保証の専門家であり、現地で立ち上げる製剤工程に日本基準の品質をもたらすためにインドに赴任。当初、吉松はそこで文化の違いに衝撃を受けたという。
「工場で製造を担うメドライクのインド人スタッフたちと一緒にプロジェクトを進めていきましたが、現地での会議は各自が自由に意見を言い合うスタイルで、収拾がつかないこともしばしば。また、トップダウンの指示系統ができあがっており、現場から提案を上げるという文化がなかった。そこに日本のメーカーである我々の思想を持ち込むのは、並大抵のことではないと感じました。さらに、メドライクの品質管理担当のスタッフが実際に作業しているのを見ると、器具の使い方を十分習熟しておらず、きちんと精度が出る手技で試験が行われていなかった。こんなレベルなのかと驚愕しましたし、果たして日本向けの品質を持った医薬品を彼らと協業しながら製造できるのか、最初は不安しかありませんでしたね」。

phase02

価値観の違い。言葉の違い。
さまざまな障壁をどう乗り越えていくのか。

生産技術担当の樋口もまた、現地でインド特有の文化に頭を悩ませていた。樋口に託されたミッションは、日本で技術検討した製剤製造を移管すること。当時まだ入社4年目ながらこのプロジェクトに参加し、2ヵ月に一度のペースで現地に長期出張していた。
「私の所属部署は海外への生産技術移管を手がけており、私も入社3年目から海外の現地法人への出張を経験してきました。しかし、メドライクとのプロジェクトではこれまでと同様には仕事が進められなくて……トップダウンの風土が強く根づいていたために、工場の現場にはたくさんスタッフがいるのに『これは私の担当ではない』となかなかチームとして機能していない。彼らに粘り強く働きかけて、スケジュール通りに業務をこなしていくことには本当に苦労しました」。
エンジニアリング部門を担当する天野も、このプロジェクトで重要な役割を務めた一人だ。頻繁にインドに出張し、日本向け製品の生産設備を導入していくことに奮闘した。
「インド人は大らかというか、時間感覚が緩くて、進捗が遅れてもまったく気にしない。そんなスタッフたちを動かしながら、少しでもスケジュールを遅らせないように機械を導入するのはとても難儀でした。時には会話によるコミュニケーションがうまくいかず、大げさな身振り手振りを交え、必死に言いたいことを伝えていきました…

生産技術担当の樋口もまた、現地でインド特有の文化に頭を悩ませていた。樋口に託されたミッションは、日本で技術検討した製剤製造を移管すること。当時まだ入社4年目ながらこのプロジェクトに参加し、2ヵ月に一度のペースで現地に長期出張していた。
「私の所属部署は海外への生産技術移管を手がけており、私も入社3年目から海外の現地法人への出張を経験してきました。しかし、メドライクとのプロジェクトではこれまでと同様には仕事が進められなくて……トップダウンの風土が強く根づいていたために、工場の現場にはたくさんスタッフがいるのに『これは私の担当ではない』となかなかチームとして機能していない。彼らに粘り強く働きかけて、スケジュール通りに業務をこなしていくことには本当に苦労しました」。
エンジニアリング部門を担当する天野も、このプロジェクトで重要な役割を務めた一人だ。頻繁にインドに出張し、日本向け製品の生産設備を導入していくことに奮闘した。
「インド人は大らかというか、時間感覚が緩くて、進捗が遅れてもまったく気にしない。そんなスタッフたちを動かしながら、少しでもスケジュールを遅らせないように機械を導入するのはとても難儀でした。時には会話によるコミュニケーションがうまくいかず、大げさな身振り手振りを交え、必死に言いたいことを伝えていきました…そんなやりとりを重ねるうち、彼らも『天野がそんなに熱心ならやるよ』と。また、今回はメドライクに納入実績のあるイギリスやドイツのメーカーから機械を調達することになり、それも私にとっては未知の経験。日本の設備なら当然備わっている仕様がついていないことも多く、そのたびに面倒な折衝が求められ、とても大変でした」。
こうして製造工程を立ち上げていく一方、メドライク社の研究所と協業して日本向けの新たなジェネリック医薬品を開発する取り組みもスタートした。そこに参加することになったのがキャリア入社の有坂だ。
「インドに出張してメドライクの研究者たちとの開発会議に参加することになったものの、最初はそこで何が議論されているのかまったく判らなかった。それまで独学で英語を勉強してそれなりに自信があったのですが、インド人の英語は訛りがあるので全然理解できなくて……しばらくは言葉の壁に苦しみ、何も存在感を示せない自分が情けなかったですね」。

そんなやりとりを重ねるうち、彼らも『天野がそんなに熱心ならやるよ』と。また、今回はメドライクに納入実績のあるイギリスやドイツのメーカーから機械を調達することになり、それも私にとっては未知の経験。日本の設備なら当然備わっている仕様がついていないことも多く、そのたびに面倒な折衝が求められ、とても大変でした」。
こうして製造工程を立ち上げていく一方、メドライク社の研究所と協業して日本向けの新たなジェネリック医薬品を開発する取り組みもスタートした。そこに参加することになったのがキャリア入社の有坂だ。
「インドに出張してメドライクの研究者たちとの開発会議に参加することになったものの、最初はそこで何が議論されているのかまったく判らなかった。それまで独学で英語を勉強してそれなりに自信があったのですが、インド人の英語は訛りがあるので全然理解できなくて……しばらくは言葉の壁に苦しみ、何も存在感を示せない自分が情けなかったですね」。

phase03

苦労の先に感動がある。大きく成長できる。
こんな経験は日本では味わえない。

さまざまな問題に直面して大変な思いを味わったメンバーたち。しかし、重大なプロジェクトを担う使命感と責任感が彼らの原動力となり、文化の違いなどの障壁を乗り越えていった。吉松はこう振り返る。
「ただ指示を待っていたインド人スタッフたちと深く関わることで、次第に彼らのほうから提案が上がってくるようになりましたし、また、スキルが未熟だったスタッフたちに正しい品質管理技法を伝授すると、瞬く間に習熟。彼らが変わっていくのを目の当たりにした時は、私も大いにモチベーションが上がりましたね。こうして品質管理体制を築いてインド赴任から帰国する際、スタッフ一人ひとりから『教えていただいてありがとう』と感謝の言葉をいただき、その時は思わず胸が熱くなりました」。
エンジニアリング担当の天野も、インド人スタッフたちとの交流がいちばん心に残っていると言う。
「インド人は同僚と一緒に酒を飲むような習慣はないのですが、彼らと一緒に設備導入を完了させた時、メドライク側のリーダーが『記念にサケパーティーをやろう』と持ちかけてきて……その時は同じ思いを共有できたと感じて嬉しかったですね」。
そして2017年夏に日本向けの新たな製造ラインが本格稼働し、日本向け製品の出荷がスタート。生産技術担当の樋口は言う。

さまざまな問題に直面して大変な思いを味わったメンバーたち。しかし、重大なプロジェクトを担う使命感と責任感が彼らの原動力となり、文化の違いなどの障壁を乗り越えていった。吉松はこう振り返る。
「ただ指示を待っていたインド人スタッフたちと深く関わることで、次第に彼らのほうから提案が上がってくるようになりましたし、また、スキルが未熟だったスタッフたちに正しい品質管理技法を伝授すると、瞬く間に習熟。彼らが変わっていくのを目の当たりにした時は、私も大いにモチベーションが上がりましたね。こうして品質管理体制を築いてインド赴任から帰国する際、スタッフ一人ひとりから『教えていただいてありがとう』と感謝の言葉をいただき、その時は思わず胸が熱くなりました」。
エンジニアリング担当の天野も、インド人スタッフたちとの交流がいちばん心に残っていると言う。
「インド人は同僚と一緒に酒を飲むような習慣はないのですが、彼らと一緒に設備導入を完了させた時、メドライク側のリーダーが『記念にサケパーティーをやろう』と持ちかけてきて……その時は同じ思いを共有できたと感じて嬉しかったですね」。
そして2017年夏に日本向けの新たな製造ラインが本格稼働し、日本向け製品の出荷がスタート。生産技術担当の樋口は言う。
「担当製品が日本に向けて初めて出荷された時は、本当に大きな達成感がありました。苦労の連続でしたが、日本ではまず味わえない経験を通して非常に成長できたと感じていますし、若いうちからこうしたチャンスを与えてくれた会社に感謝しています」。
メドライク社との共同開発に携わる有坂も、日々成長を感じているという。
「当初はあまり貢献できませんでしたが、懸命に努力し、いまではメドライクの研究所長から直々に意見を求められる機会も増えてきました。苦手だったインドのカレーも平気で食べられるようになって、精神的にも肉体的にもタフになりました」。
天野もこのプロジェクトを通じて、異なる価値観を持つ人財を率いて事業を推進していくマネジメント力が大いに鍛えられたという。プロジェクトは現在も進行中であり、有坂と樋口はいまなお、日本とインドを往来している。インドは電力供給が不安定で、停電も頻繁に起きる。そんな状況下でも設備が稼働し続けられるよう、保守技術を日本並みに向上させていくことが今後の課題だ。
これからインドにおいて日本向け製品の生産をさらに拡大していく方針であり、日本国内ではそのメドライク製品の新たな販路として、2017年、Me ファルマ社を設立。患者さんのために、将来にわたって高品質かつ安価なジェネリックを安定的に供給するための体制が整った。さらにその先には自社の医薬品をメドライクの販路に乗せて、アジア・アフリカ地域をはじめ各国で販売することも視野に入れている。
Meiji Seika ファルマの医薬品は、国内だけでなく、世界の人々の健康をこれからも支え続ける。60を超える国や地域に加え、新たな販路獲得に向け、さらなる挑戦は続く。Meiji Seika ファルマのグローバル戦略は、まさにこれからが本番だ。

「担当製品が日本に向けて初めて出荷された時は、本当に大きな達成感がありました。苦労の連続でしたが、日本ではまず味わえない経験を通して非常に成長できたと感じていますし、若いうちからこうしたチャンスを与えてくれた会社に感謝しています」。
メドライク社との共同開発に携わる有坂も、日々成長を感じているという。
「当初はあまり貢献できませんでしたが、懸命に努力し、いまではメドライクの研究所長から直々に意見を求められる機会も増えてきました。苦手だったインドのカレーも平気で食べられるようになって、精神的にも肉体的にもタフになりました」。
天野もこのプロジェクトを通じて、異なる価値観を持つ人財を率いて事業を推進していくマネジメント力が大いに鍛えられたという。プロジェクトは現在も進行中であり、有坂と樋口はいまなお、日本とインドを往来している。インドは電力供給が不安定で、停電も頻繁に起きる。そんな状況下でも設備が稼働し続けられるよう、保守技術を日本並みに向上させていくことが今後の課題だ。
これからインドにおいて日本向け製品の生産をさらに拡大していく方針であり、日本国内ではそのメドライク製品の新たな販路として、2017年、Me ファルマ社を設立。患者さんのために、将来にわたって高品質かつ安価なジェネリックを安定的に供給するための体制が整った。さらにその先には自社の医薬品をメドライクの販路に乗せて、アジア・アフリカ地域をはじめ各国で販売することも視野に入れている。
Meiji Seika ファルマの医薬品は、国内だけでなく、世界の人々の健康をこれからも支え続ける。60を超える国や地域に加え、新たな販路獲得に向け、さらなる挑戦は続く。Meiji Seika ファルマのグローバル戦略は、まさにこれからが本番だ。

  • 小田原品質保証室

    1996年入社/応用生物工学専攻修了

    吉松 紀彦

    入社後、小田原工場(現Meiji Seika ファルマテック(株))の技術課で製剤技術を担当し、その後、品質管理と品質保証に従事。2014年から2017年にわたってメドライク社に2年半赴任し、現地での品質管理・品質保証体制の構築を指揮した。

  • ジェネリック製剤研究室

    2015年入社/薬学部卒

    有坂 昌也

    同業からの転職。前職では製剤研究に従事し、Meiji Seika ファルマ入社後も同様の業務を担当。現在、メドライク社との協業による日本向けジェネリック医薬品の開発プロジェクトに参画している。

  • 生産技術部 製剤技術室

    2013年入社/薬学部卒

    樋口 翔

    入社3年目より、国内で検討・確立した製剤技術を海外拠点へ移管する業務を担当。2016年からはメドライク関連業務を担当するようになり、インドで新たに建設された工場への生産技術移管に力を注いでいる。

  • 生産本部 エンジニアリンググループ

    1996年入社/工学部卒

    天野 勝仁

    入社後、小田原工場(現Meiji Seika ファルマテック(株))に3年、その後自社の技術を外販するエンジニアリング会社に5年在籍し、現在は本社の生産本部に所属。今回のプロジェクトではメドライクの新工場への生産設備の導入を担った。

※所属・内容は取材当時