急速な経済成長のなかで

1940年代を過ぎ、高度経済成長期に入ると、人々の生活は劇的に変化します。モノの足りない時代から、豊かなモノに囲まれた時代へ。食品では味の工夫だけでなく、ユニークなパッケージや形状のおもしろさが追求され、付加価値による差別化がさらに重要となっていきました。また、豊かで健康な生活を守るための医薬品も、抗生物質にはじまりさまざまに開発されるようになっていきます。

明治グループの事業においても、多様な食品・医薬品が開発され、今に続くロングヒット商品も多数現れました。

写真:ペニシリンの培養室
1946
  • 健康・栄養イノベーション医薬品

    ペニシリンの製造開始食の技術を医薬に活かす

    1940年代半ば、日本中でひっ迫していたのが医薬品です。明治グループでは少しでも多くの方の健康に役立ちたいと、1946年にペニシリンの製造・研究を始めました。というのも、当時ペニシリンの原料として代表的だった物質の一つが乳糖だったのです。食品・乳製品を扱ってきた当社にとってはなじみ深い物質でした。その製造ノウハウを活かして作られたペニシリンは、その後急速に国内でのシェアを伸ばしていきました。

    また、これに留まらず、1950年に「ストレプトマイシン明治」、1958年には「カナマイシン明治」と、新たな抗生物質を次々に製品化します。また、1949年には牛乳などを原料とする流動食も発売。少しでも医療の状況を良くしたいという思いでさまざまな試みを続けました。

    写真:ペニシリンの製造開始

    物資が不足するなか、「フルーツシラップ」の
    瓶を流用してペニシリンの製造を開始。
    その後は設備も拡張し、
    全国からのニーズに応えて生産を拡大していく

1950
  • 食品

    「明治ハネーヨーグルト」発売

    写真:明治ハネーヨーグルト
1954
  • 健康・栄養イノベーション食品

    「ソフトカード明治コナミルク」発売より母乳に近い粉ミルクを追求

    「ソフトカード明治コナミルク」は、日本で初めて、牛乳のたんぱく質を“ソフトカード化”した粉ミルクです。それまでの粉ミルクは、赤ちゃんの胃の中でたんぱく質が固まり(ハードカード)になってしまい、消化の妨げになっていました。当社ではこの点に着目。加熱処理を加えることで、赤ちゃんが消化しやすい粉ミルクを実現したのです。その後も成分や機能を繰り返し見直され、「明治コナミルク」ブランドとして定着していくことになりました。

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    写真:ソフトカード明治コナミルク

    厚生省主催の赤ちゃんコンクールに協賛したり、保健所を通じて産科・小児科の医師に普及活動したりと、従来とは違ったアプローチでPRを行った

1958
  • グローバル

    抗生物質「カナマイシン明治」発売国産の抗生物質を世界に

    カナマイシンは国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)の梅澤濱夫博士が発見した抗生物質です。当時結核の治療では主にストレプトマイシンが用いられていましたが、カナマイシンはその耐性菌にも有効で、より幅広い菌に対処でき、毒性がより少ないという画期的な特徴を備えていました。

    明治グループでは早くからカナマイシンの有効性に着目し、研究班を編成します。そして試験品の開発や臨床試験を積極的に支援し、1958年に「カナマイシン明治」を発売。海外にも通用する国産初の抗生物質として、現地企業との提携などを通じて販売を拡大していきました。その後カナマイシンは順調に海外でのシェアを伸ばし、1966年には日本の輸出医薬品のトップに躍り出ます。

    写真:カナマイシン明治

    カナマイシンは世界40カ国以上で
    特許が認められた

meijiの実は……

動物の薬もお任せ

1940年代以降、さまざまな医薬品を開発していった明治グループ。
その対象はヒトだけではありませんでした。

1955年に動物薬の第1号としてペニシリン飼料添加剤「メイリッチP」を発売。その後も感染症を防ぐ製品を次々と開発するほか、内部寄生虫駆除剤「デストネート」なども世に送り出します。これらの動物薬はその有用性から国内外で大いに注目を浴びました。

写真:内部寄生虫駆除剤デストネート

内部寄生虫駆除剤「デストネート」

1961
  • 食品

    「マーブルチョコレート」「アーモンドチョコレート」「アポロ」など個性的なチョコレートを続々発売

    「チョコレートは明治」――のちにCMで知られるようになったこのキャッチフレーズの基礎が築かれたのが1960年代です。先駆けとなったのは1957年の「ミルクチョコレートデラックス」。それまで薄型でチョコレート色と決まっていた包装がこれを皮切りに色鮮やかなものとなりました。

    チョコレートの形状や中身にも工夫が凝らされるようになりました。例えば、「マーブルチョコレート」は、カラフルな糖衣が目に楽しいだけでなく、夏でも溶けにくいことが強みになりました。「アーモンドチョコレート」は、それまでにないボール型の形状やボリューム感、スライドして開ける斬新なパッケージでアピールします。形状のアイデアが楽しい「アポロ」もこの時期に開発されたもの。このほかにもチョコレート菓子のバリエーションを次々と広げ、そのことが人気商品の誕生につながっていきました。

    写真:ミルクチョコレートデラックス

    チョコレート包装への先入観を一新した
    「ミルクチョコレートデラックス」(1957年)

    写真:マーブルチョコレート

    見た目にも楽しく、溶けにくい
    「マーブルチョコレート」(1961年)

    写真:アーモンドチョコレート

    初めてスリーブ箱を採用した
    「アーモンドチョコレート」(1962年)

    写真:アポロ

    2層構造と特徴的な形状が目を引く
    「アポロ」(1969年)

meijiの実は……

“時事ネタ”だってお菓子にします

「アポロ」と聞けば思い浮かぶのが、凹凸のついた三角錐の形状です。この形はどこから来たのでしょうか。

この商品が発売された1969年は、実は世界で初めてアメリカの「アポロ11号」が世界初の月面着陸を成し遂げた年でした。独特の形状をした司令船がモチーフの一つになったのです。ニュースで大々的に報じられたその姿は、当時の日本人にはすぐに思い浮かぶものだったことでしょう。

通常、商品の開発や商標登録には長い時間がかかりますが、偶然にも(?)3年前の1966年、ギリシャの太陽神アポロンからとった「アポロ」という名前のお菓子を作ろうと商標登録を済ませていたのです。

さらに「アポロ」は別の大ヒット商品の誕生にも大きく貢献しています。カサの形のチョコレートを作る機械を有効活用して生まれた「きのこの山」は、多くの人に愛される商品になりました。

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1968
  • イノベーション食品

    「カール」発売日本初のスナック菓子、誕生

    高度経済成長期を迎えて消費者の余暇の過ごし方は大きく変わり、味の好みにも変化が生じます。よりソフトな甘さ、軽い味が求められるようになったのです。そこで海外の情報も収集しながら新商品の開発を推進。コーンを原料に、軽い食感を実現した日本で最初のスナック菓子「カール」を発売しました。「スナック菓子」という言葉も、この時に生まれたものです。

    原料となる粒の細かいコーンは当時は調達しにくく、機械や包装にもこれまでにない工夫が求められましたが、努力の甲斐あって商品は大ヒット。2種類のみだったフレーバーも1971年までには4種類に増え、増産体制が整えられました。

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    写真:カール

    当初はチーズ味・チキンスープ味の
    2種類からスタート

1972
  • 健康・栄養医薬品

    「インフルエンザHAワクチン」
    発売

    当時のインフルエンザワクチンの有効性や安全性の改善を目的に開発。特に高リスクの高齢者、小児の感染・重症化の予防に貢献しています。

    写真:インフルエンザHAワクチン