メイジ・カカオ・サポートの活動を通じて産地に長期滞在し、カカオ農家と話し合いを重ねることで、良質なカカオ豆作りを実現させた、カカオ開発研究部 部長の宇都宮洋之。「問題の本質を見失わないことが重要」と話す、宇都宮が見据えるMCSの意義や課題とは?
私が継続的にカカオの産地を訪れるきっかけになったのは、「カカオ基礎研究グループ」の発足でした。これが後のメイジ・カカオ・サポート(以下、MCS)のさまざまな活動につながります。なぜ現地を訪れることを提案したかというと、明治ではそれまで商社を介して、カカオ豆を購入するだけだったから。もちろん、現地に訪問したことはありましたが、訪れるとしても産地の確認をするための短期滞在でした。しかし私は、チョコレート作りをする上で将来的なビジネスの観点から見て、他社との差別化が必要だと感じていました。これからの社会では、ただ出来上がったカカオ豆を購入するのではなく、自分たちが作りたいチョコレートのために、私たち自らが積極的に現地に入り込んでカカオ豆作りに携わるべきとの思いがあったのです。
カカオ豆の産地のリサーチを行い最初に訪れたのは、ベネズエラ、エクアドル、ペルーの3カ国。ベネズエラとエクアドルはこれまでも取引があり、ペルーは新たな産地として重要な場所になると考えたのです。こうして現地を訪れたことが、これらの国でのMCSのスタートとなります。実際に現地を訪れてインフラや農業の設備が整っていない状況にも驚きましたが、一番衝撃を受けたのは、仕事という概念の捉え方の違いでした。3国どこでもそうでしたが、私たち日本人のやり方は全く通用しないんです。カカオ農家をまわり、カカオ豆作りを良くするために来たと伝えても、「別に俺たちは困っていない」「日本人の力なんて必要ない」と追い返され、良質なカカオ豆を作ることで生活が豊かに変わると伝えても、「楽して稼ぎたい」「そんなに一生懸命働いても働かなくても結果は同じだ」と言われました。
それでも私は絶対に諦めたくありませんでした。事前調査や現地訪問で、カカオ豆のポテンシャルが十二分にあることは分かっていました。現地で一緒に良質なカカオ豆作りを行うことは、カカオ農家の生活を支えることになる。そして明治にとっても、カカオ農家にとっても、カカオ豆の未来を照らすチャンスだと思ったんです。
こうした私たちの思いをカカオ農家に理解してもらうため、日本市場でのカカオ豆の使われ方を説明しました。カカオ豆を使ってどうやってチョコレートが出来上がるのか、それがどんな味わいになるのか、おいしいチョコレートになるカカオ豆の価格はどのくらいになるのか。そして事細かに説明するだけで終わらせず、自分たちが栽培したカカオ豆で作ったチョコレートを実際に食べてもらうことにしました。というのも、実際に自分のカカオ豆だけで作ったチョコレートを食べたことあるカカオ農家はほとんどいません。それで実際に味わってもらうと、「おいしい」「これ俺が作ったんだ」と、嬉しそうに目を輝かせてくれました。
さらに、本気でカカオ豆作りに取り組んでもらうために、カカオ豆の品質の重要さを理解してもらう必要がありました。同じ地域のカカオ農家のカカオ豆で作った、最もおいしいチョコレートを味わってもらい、自分の豆の品質が今どのレベルなのかを、自ら感じてもらう。そして、日本市場で支持される品質を示すことで、理解を深めてもらいたかったんです。
こうしてカカオ農家をくまなく回ること、およそ100軒。その中で私たちの思いをくんでくれた約60軒のカカオ農家と一緒に、可能なカカオ豆作りをまず始めました。明治の長年の研究によって得た科学的知見を使って発酵や加工を行えば、より良い豆が作れることは可能だと確信していました。その方法とは、カカオ豆を作ってもらって現地や日本の研究室で分析し、その結果を生産方法に反映していくというもの。カカオ農家と関係性を築いたり、勉強会を開いたりと国によってアプローチ方法は異なりますが、2006〜2009年にかけて何度もトライを一緒に繰り返し、ベネズエラ、エクアドル、ペルー、ドミニカ共和国などの国々で良質なカカオ豆作りを目指しました。
MCSに携わって15年以上。この活動で大切だと感じるのは、やはり継続することです。現地のカカオ農家にお金を払っておしまいでは意味がありません。私たちはカカオ農家と一緒にカカオ豆作りを行っていますが、専属契約をしているわけではないんです。そういう関係を結んだとして、現地にはあってないようなものなので。他に高い値段をつけるメーカーがパッと現れたら、そこに売ってしまうなんてこともよく起こります。彼らにも生活や考えがあるので、私たちがどうこう文句を言うわけにはいきません。だけどただ一つ、「私たちはあなたが作ったカカオ豆を持続的に買い続けたい」という、一過性のもので終わらせないという意志を伝えています。なぜなら、カカオ農家にとって一時的な収入を得ることより、明治との関係性を継続する方がカカオ豆の品質が保て、生活の安定にもつながるから。そういう理由があるから、MCSの活動が今日まで続いているんだと思います。
2006年から始まったMCSの活動の中で最も壁だと感じたのは、「明治ザ・チョコレート」が誕生するまでの2010〜2014年までの頃。というのもこの期間は、MCSのプロジェクトでおいしいカカオ豆作りができるようになっていたものの、そのカカオ豆の風味を存分に生かしたチョコレートを商品にできていなかったのです。当時はMCSで作られたカカオ豆は定番商品に使われており、定番商品がおいしくなるという点では良かったのですが、やはり、お客さまにはカカオ豆の個性を楽しんでいただきたかった。だから「明治ザ・チョコレート」ができるまでは、産地とカカオ農家に申し訳ない気持ちがありましたね。
MCSの活動でいろいろなことを体験してきましたが、実際にカカオ農家の収入や生活が安定していく姿を近くで見てきました。今でも現地では安定的に品質のいいカカオ豆が作られています。15年前に現地で地道に築いた関係性と、カカオ豆作りが今も続いていると、自分たちのやり方は間違ってなかったんだとホッとします。
昨今ではSDGsやサステナブルといった言葉が一般的になりましたが、急に社会がそれに対応できるかといったら決してそうではありません。私たちが携わるカカオ豆やチョコレート作りの課題を語る上で欠かせないのは、南北問題です。カカオ豆を生産する農家の人たちと、それをチョコレートとして消費する人たち。カカオ豆作りでは環境問題、児童労働、森林伐採などの問題がついて回りますが、それを知ったカカオを消費する人たちは、そういった問題を抱えるカカオ農家からはカカオ豆を買わないようにしようという動きがあります。
一見、こういう潮流はいいように思えますが、これは消費する側が勝手にカカオ農家を切り捨てることにつながりかねません。実際に現地でカカオ農家と共に歩んできたからこそ分かりますが、これではなんの問題解決になりませんし、むしろカカオ農家を苦しめることになる。いいカカオ豆作りを継続・維持してもらい、そこにしっかりと対価を支払う。私たち明治もまだまだですが今の社会には、こういったフェアな経済の仕組みを構築することが必要だと考えています。
会社員生活のほとんどの時間をカカオ豆と向き合うことに費やしてきましたが、私の定年退職まで残り少なくなってきました。これまでと変わらず、MCSの活動を意欲的に行う後進たちと一緒に、カカオ豆のさらなる可能性を追い求めたいと思っています。
今、私はサステナブルなカカオ豆作りをより実現するため、ホワイトカカオという希少な品種のカカオ豆に夢中です。もしかしたらチョコレート以外のアウトプットもできるのでは?と、未知なる可能性を感じています。カカオ豆の可能性を模索しながら必要だと感じているのは、カカオ全体の経済価値を向上させ、カカオ農家に還元できる仕組みを構築すること。これを実現させるため、私はまだまだMCSの活動を進めていきます。
- 可能性を追求する人。
- 宇都宮洋之(うつのみや・ひろゆき)
商品開発研究所 カカオ開発研究部 部長/カカオクリエイター。
1993年に入社。カカオやチョコレートの製造部門や技術部門を経て、カカオの研究や商品開発を行う研究所に配属。2006年からカカオの産地で活動を開始し、「メイジ・カカオ・サポート」の立ち上げメンバーに。現在はチョコレートの開発業務に携わる。カカオ産地に何度も足を運び、現地からの信頼も厚い。